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議員報酬  西宮市議会議員の月額報酬(給料)68万7000円

      夏期手当(夏のボーナス)157万7760円

      冬期手当(冬のボーナス)181万3680円    (平成26年度)

 

私の原点

 元々私が政治に興味をもったのは20代半ば頃でした。政治=金、政治に対して大きなマイナス

イメージをもったのが政治に興味をもった大きな要因でした。けれど当時の私にとって政治という

世界はかなり遠い存在でしかなかったし、元々私は大学に入学してしばらくは自分自身に自信がな

く、消極的でマイナス思考でした。しかし段々と大学生の時に教育業(塾講師・家庭教師など)に

はまり、「こんな自分でも頼ってくれるヒトがいる」、ヒトから頼られる、ヒトが喜んでくれる・・・

徐々に多くのヒトが喜んでくれることをしていきたいと思うようになりました。議員はとても遠い

存在でしたが20代半ばを過ぎた頃から議員になりたいと思いました。そしてそのためには私は

自由業・自営業の方向性へいこうと思い、(当時の私は議員になるなら自由業・自営業にならないと

いけないかなという考えでした)そのためにはどうすれば良いかなど考えるようになり自分自身

の人生計画・方向性が決定しました。そのようなモチベーションができるとヒトは変わるものです。

消極的だった私も段々と積極的になっていき、いろいろな場所へ行って、様々なヒトと出会うよう

になりました。(自分自身を磨いていくようになりました)特に20代後半から30代は様々なヒトと

出会い、ヒト=人脈を作ることができ、今でも私の強みは、ヒト=人脈と思っています。又自分自身

にこだわり・信念・情熱をもつと、ヒトからどう思われるか、などは気にならなくなりました(昔

はヒトからどうみられるかが気になってヒトと同じことをしていたら安心という感じでした)又

ヒトの良いところ・長所を見るようになり教育関係に活かすことができるようになりました。

 

西宮市の議員報酬削減及び政務活動費の削減を求める請願(平成25年6月議会)

①議員報酬額を現行月額68万7千円から10%削減とすること。

②政務活動費を現行月額15万円から、近隣他市並みの半額7万5千円とすること。

 

議員になるための試験・国家資格はありません。そして議員は営業の仕事のように数字がでる

ものではありません。私は議員の条件は「ヒトが好き」「ヒトに喜んでもらうことが好き」だと

思います。そして議員報酬・政務活動費は西宮市の税金から支払われています。

この不況・就職難の中、現状の報酬額だったら一つの就職先になってしまうのではと思われます。

 

文化・芸術・伝統芸能の振興

西宮には様々な文化があります。「文化の街 西宮」としてさらなる発展のために頑張っていきたいと思います!

 

音楽と出会うまち西宮

 音楽等の芸術分野は、感動を与えヒトの心を豊かにします。音楽はヒトを幸せにし、ヒトを元気にし、街を元気にします。音符は世界共通の言語なので音楽にはヒトとヒトとをつなげる

力があります。「音楽と出会うまち西宮」として意義や効果、役割りを広く周知する必要があると思われます。又若手音楽家支援も行います。

 

スポーツを軸としたまちづくり

 文化・音楽・スポーツ・・・口で言っているだけではダメ。

 例えばスポーツ・・・と言うならアスリート関係に営業して西宮市に紹介する、

積極的な行動を実際に行うことが大切です。

 

教育 

平成26年9月の私の一般質問の資料を使います。

   (平成26年10月の私の市政報告にも使用しています)

縁を生かす

 先生が5年生の担任になった時、一人服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない

少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

 ある時、少年の一年生の記録が目にとまった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。

勉強も良く出来、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

 二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。

三年生では「母親の病気が悪くなり疲れていて、教室で居眠りする」後半の記録には「母親が死亡。

希望を失い、悲しんでいる」とあり四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症と

なり、子供に暴力をを振るう。」

 先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決め付けていた子が突然、悲しみを生き抜いている生身

の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。

 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強して

いかない?分からないところは教えてあげるから」少年は初めて笑顔をみせた。

 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で、少年が初めて手を

上げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。少年は自信を持ち始めていた。

 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。後であけてみると、

香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていた物にちがいない。先生はその一滴をつけ、

夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、

先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日は素敵なクリスマスだ」

 六年生では少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして今また出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年、またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当して

もらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することが出来ます。」

 十年を経て、またカードがきた。そこには先生に出合えた事への感謝と父親に叩かれた体

験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく

五年生のときの先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を

神様のように感じます。医者になった僕にとって最高の先生は五年生の時に担任して下さった

せんせいです」そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座って下さい」

と一行、書きそえられていた。本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。

 たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、

それからの人生を生きた。ここにこの少年の素晴らしさがある。

 人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。

大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。

               月刊到知(到知出版社)平成17年12月号特集 縁を生かす(藤尾秀昭小さな人生論)より

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